7月2日は、イメルダ夫人の誕生日のようで、マルコス現大統領が母(イメルダ)に、96歳の誕生日をお祝するコメントを発しているのをニュースで見ました。まだ、生きていたんですね。そこで、手元に本映画のDVDがあることを思い出し、見てみました。私は配信を中心にフィリピン映画を見ていますが、配信にない映画もDVDで手に入らないか一応チェックしており、それなりに手元にフィリピン映画のDVDを蓄えているのです。本作は、自分にとって初めてのDVDで見た映画となりました。
さて、イメルダ夫人と言えば、ピープル革命のイメージが強い、我々の世代からすると、汚職と蓄財の象徴というイメージですが、彼女のフィリピンのイメージ向上のために、自分は役割を果たしたというコメントには、それなりに理屈は通っているところはあるなと思いました。
ストーリー
ドキュメンタリー映画なのでストーリーはありませんが、なかなか興味深い事実をたくさん知ることができました。映画の中で知ったことを、つらつらと書き記してみますね。
彼女は、子供のときからめちゃくちゃ美人です。あのマッカーサが彼女の歌を発掘したと言っているそうです。美しく、歌で注目された子供時代を経て、ミス・フィリピンを受賞。その後、マニラに移動してミス・マニラに応募。優勝はできず2位だったのに納得できず、マニラ市長を訪れ、クレームを入れたところ「マニラの女神」という称号をもらえたそうです。彼女にプロポーズした男が数百人いたというのも、あながち誇張ではないでしょう。この国民的な人気に目を付けたマルコスもプロポーズ。周りの人が、彼は将来大統領になる器だという言葉を信じて、出会って11日後に結婚します。まだ結婚したばかりのときは、「太ったら君との関係は終わり」とマルコスに言われたり、自分のようなフィリピンで一番の美人と結婚したのに浮気をするマルコスにショックを受けたようですが、やがては大統領夫人としての役割を自覚し、マルコスと2人で、国を導く夫婦、あるいは父母として政治の道を駆け上がります。
当時の諸外国におけるフィリピンのイメージというのは、土人が暮らしているというもので、そのイメージ払しょくするために、派手に着飾ります。また、国にイメージを良くするために、劇場を建設したり、国際映画祭を誘致しようとしたりと、だんだん活動が派手になっていきます。彼女は、フィリピンには長い植民地の歴史しかなく、国民と言うものがないと考え、巨大な文化センターの建築を命じます。当時も、そんな無駄なものに使うよりも、貧しい家の修理などに予算を充てるべきとの意見もあったそうですが、「そんな表面的なことにお金を使えという声もあった」と、軽くあしらいます。まあ、確かに、国民の生活よりも、外交で見栄を張らなければならない局面があるのも事実で、彼女の見識にも一理あるなと思いました。また、フィリピンのような貧しい国では、スターが必要だと語り、自分が派手に振舞えば振舞うほど国民が希望を持つと思っていたようです。また、実際にそのような側面もあり、貧困地域に住むものが、イメルダの写真をもらって大喜びするシーンも収められています。その後、驚くべきことに、大統領夫人でありながら、自ら、マニラ市長を務めたこともあります。
その後、不正な蓄財が問題となり、雲行きが怪しくなってきます。しかし、当時のアメリカは、冷戦構造の世界情勢下で、アジア最大の米軍基地があるフィリピンの政変を望んでおらず、マルコスを支持していました。しかし、アキノの投獄、追放、暗殺、その後の不正選挙で、ついにアメリカもマルコスを見放し、マルコス一家は国を追われ、アメリカに亡命します。そして、マルコス大統領はハワイで客死してしまいます。アメリカでマルコスの不正に関する裁判ができなくなってしまったので、イメルダの裁判を継続していたものの、彼女が不正をどこまで知っていたかについては、確たる証拠もなく、無罪判決が出ます。彼女は、亡命時に莫大な資金を持ち出しており、そのお金でニューヨークの有名なビルをいくつも購入しました。そのお金で、ニューヨークでも派手に遊びまくっていたようです。
いよいよ最終章は、フィリピンへの帰国です。帰国後はフィリピン国民に大量の裁判を起こされ、映画が撮影された時点でも150の裁判を抱えているとのことでした。いくつもの裁判で敗訴し、賠償を命じられていましたが、彼女は一切賠償していないとのテロップが流れ、エンディングでした。
しかし、何というか時代の傑物を見たという感じがして、なかなか満足度の高い映画体験でした。
作品情報
オリジナルタイトル:Imelda
公開年 2003年
監督 Ramona S. Diaz
視聴可能メディア 配信なし DVDで視聴(日本語字幕)
作品トレイラー
Youtubeにトレイラー映像がなかったので、トレイラーのあったサイトのリンクを貼ります。
