マルコス大統領が、先代・シニア・マルコス大統領に追悼コメントを出す

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本日は、マルコス大統領の父、フェルドナンド・マルコスの命日だったようで、マルコス大統領が追悼コメントを出したというニュースを紹介します。とは言え、賞賛コメントを出せば、非難轟轟なのはわかっていますので、ごく控えめなコメントに留まっています。

住民のフェルディナンド・「ボンボン」・マルコス・ジュニアさんは日曜日、亡き父で元大統領フェルディナンド・マルコス・シニアさんの命日に偲びました。

「父アポ・ラカイの36回目の命日に偲びます。彼の思い出と夢は、いつも私の中に残っています」とマルコスさんはインスタグラムの投稿で述べました。

マルコス・シニアさんは1989年9月28日、ハワイ州ホノルルで亡くなりました。1986年のピープルパワー革命でコラソン・アキノ氏が政権を握った後も、一家はホノルルに滞在していました。

昨年9月11日、マルコス・ジュニアさんも父の108回目の生誕日に偲びました。

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フィリピン人の反応

私たちの愛するフィリピン史上最高の大統領、PFEM(マルコスシニア大統領)に敬意を表します❤️❤️❤️

マルコス一家、最高の大統領でした!✌️❤️

悪魔のアキノがフィリピンを苦しめてきた!アキノは血筋の共産主義者だ。彼らとその手下たちは、国民を苦しめながら自分たちを豊かにしてきた!

決して忘れない。二度と。私たちが一つになりますように。お子さんは同じことを繰り返すかもしれません。大切なのは、その人に気づくことです。マンゴーはサントルを産みません。

人々の力を思い出してハワイへ出発しましょう🤣🤣🤣

BBM(マルコス大統領)が辞任してください😜

ああ、それは腐敗して人々の宝を盗んだので人々から追放された人です!

腐敗の遺産

すべての人に正義を。PBBM、司法省、素晴らしい仕事をしました。
PBBMの数々の功績。

もし当時ソーシャルメディアがあったら、マルコス・シニアは、今の彼の息子のようにソーシャルメディアを立ち上げていただろう。

略奪者は、マラカニアン宮殿から追放されたらフィリピンのお金も奪うのかな?😂😂😂 それについてはたくさんのニュースがあります。

この偉大な人物は私たちを共産主義から救ってくれました

私は父を誇りに思っていますが、この政権下で息子がやっていることはばかげています。

1966年にイメルダがビートルズをいじめたことを忘れないで。ビートルズはイメルダをボイコットした。2回のソールドアウトコンサートの後、彼らがマラカニアン宮殿を批判したからだ。これが解散の理由の一つだ。イメルダは彼らに金を払わず、チンピラを雇って彼らを傷つけ、殴り、蹴らせた。彼らは殴られないように尼僧に隠れて変装していたが、飛行機が銃撃されたので飛び立った。その後、彼らはいじめられ、インドと日本へ飛んだ。

マルコス・シニアは人々に多くの恩恵を残しました。マルコス・ジュニアが残したのは、植えたばかりで収穫間近の思い出、干ばつのときに使う水を集めること、そしてお金がなくなることだけです。

腐敗は政府内の人々の敵であり、偶像や政府ではありません。私たちは団結する必要があります。このようなことはもう起こっていません。フィリピン国民を守るべき人々を、金で買収できるのです。

ドゥテルテは父親を移送し、ドゥテルテ自身もハーグに移送された!!!!

世界は彼と彼の腐敗した政府を記憶している。世界は苦しむ貧しい人々を悼んでいる。世界は彼らの腐敗した生活を支持する若者たちを目の当たりにし、啓発したいと願っている。フィリピンよ、自由に生きろ!自由に生きろ!

まとめ

マルコス大統領の親衛隊によるコメントもありましたが、マルコス・シニア大統領に一定の業績があり、それを信奉している人がいるのも事実でしょう。マルコスシニアが、独裁者としていられたのは、共産主義に対する前線基地として、アメリカにフィリピンを使わせたことによるもので、その際にアメリカから多くの利益を引き出したのは事実でしょう。その後の政権が、なんだかんだと中国との接点を強めていったこと、それが国民の反発を引き起こしていることを考えると、その支持基盤の性質がわかりますね。

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