フィリピンは、戦後アジアで2番目に裕福な国として繁栄していましたが、それは冷戦時代となり、アメリカの前線基地として機能することで膨大な援助、投資が入って来たからに過ぎずませんでした。その時代にまともな産業を育成しなかったため、その後じょじょに没落していくことになります。本作では、フィリピンにたくさんあっただろう没落家庭を描いた作品です。主人公に、フィリピンを離れて20年アメリカに住んでいた女を据え、久しぶりに戻って来たフィリピンの風景が、いかに無知で腐敗しているか、くだらない因習に満ち満ちているかを描いたものと思われます。長女の気持ちになって、ウンザリしました。監督は、初期フィリピン映画の巨匠、リノ・ブロッカさん。この時代に、フィリピンを客観的に描く眼差しは、さすがに巨匠ですね。ただ、映画フィルムは1本しか残っていなかったらしく、保存状態も悪いため、シーンによっては非常に字幕が読みずらいです。タイトルの「Ina, kapatid, anak」は「母、姉妹、子供」を意味しますが、主人公たちから見た母は登場せず、病床の父をめぐるものがたりでもあるので、「Ama, kapatid, anak」ではないかなと思いました。どうして、「父」ではなく「母」としたのでしょうか?

(Photo cited from IMDb)
「Ina, kapatid, anak」のストーリー
三姉妹が主人公の物語です。はっきり示されませんでしたが、長女(プラ)、次女(エミリア)、三女(テルマ)と、その父親、次女の夫と娘が主な登場人物です。
初めのシーンは、長女が20年ぶりにアメリカから帰国するところから始まります。どうやら、父親の状態が悪く、父の最後を見届けようということのようです。長女が屋敷に到着すると、それを不愉快そうに2階から見下ろす女が次女です。最初こそ、次女は歓迎の態度を示していましたが、すぐに険悪な関係になります。父は、容体が悪く床に臥せっており、治療を拒否しています。
長女は、家族の様子を観察するのですが、次女と娘はあまりうまくいっていないようです。娘が流行りの髪型(ワンレン)にしていると、そんなのは赤い家(おそらく娼館でしょう)の女の髪型だ、と怒鳴りつけます。夫にも、長女に色目を使っていると非難します。とは言え、長女は美人では全くなく、そんなこと言われてもなと思いました。
長女が、家の財産を確認したところ、酷い状態です。財産と呼べるものは、古い屋敷しか残っておらず。屋敷を売るのが現実的であろうと考えるのですが、次女は「これは私の家だ」と言って、屋敷を売るのに反対です。また、屋敷にはたくさんの使用人がおります。彼らは怠け者で、ほとんどビンゴをして遊んでいます。長女は、彼らを解雇しようとするのですが、次女は彼らを使って、長女に圧力をかけます。
次女の娘は、窮屈な母のもと、田舎で過ごすことに絶望しており、高校を卒業したらマニラに出たいと思っています。しかし、当然母親は大反対で、何ともなりません。そんなとき、中年男性(老けて見えるだけ?)が、彼女を遊びに誘い、恋人のような関係になりました。男は、マニラに連れて行ってやると軽口をたたきます。
三女は、工場で秘書として働いています。しかし、既婚者と不倫しているため、次女が家から追い出したそうです。父の病態が悪くなるまで、もう5年家に帰れていなかったと語ります。「彼は既婚者だけど、私に優しいの」とバカみたいなことを言いますが、長女は非難するようなことはありませんでした。
また、次女の夫はダンスホールで遊び狂っています。ある日、次女に踏み込まれ、無理やり家に連れ戻されましたが、「男の尊厳を踏みにじった」と言って、平手打ちします。次女は怒り狂って、大暴れです。しかし、この男、実は長女の元恋人だったらしいのです。長女は、20年前になぜ次女に乗り換えたのか?と問いますが、彼は答えません。この破局のため、長女はフィリピンを去り、アメリカに行ったとのことでした。しかし、現在の彼を見て、「なぜ私が選ばれなかったのだろうとずっと考えていたが、それは間違いだった。今は、なぜこんな男を愛していたのだろうと思う」と語ります。
屋敷から三女を追い出した次女ですが、財産を食いつぶしてしまい、追い出した三女から金をもらっていたようです。三女は、家計を支えているにも関わらず、家の敷居も跨がせなかった次女に怒りをぶつけます。
町では、フィリピンらしく美人コンテストが開催されます。地元の名士なのでしょう、長女がクイーンに戴冠しました。そのお祭りでも、あいびきを重ねる次女ですが、ついに母親にバレてしまいました。怒り狂う母親に絶望した娘は、男と家を出る決意をします。
そんなとき、ついに父親が亡くなりました。通夜の途中に、家をこっそり抜け出し、男と密会する次女は、今すぐマニラに連れて行ってとせがみます。すると、男はびびってしまい。「マニラに行くとは言ったけど、やっぱりセブかミンダナオかもしれない」「俺は風のふくままさ。こういう男なのさ」と逃げ腰です。しかし、空気を読まない娘は、「邪魔にならないから」とせがみ、翌日、駆け落ちする約束をさせます。
駆け落ちの日、次女は娘の異変に気付きました。外で待機している男(むしろよく来たなと思いましたが)を発見し、夫と使用人でボコボコにしました。娘は泣いています。そんな醜態を冷たい目で見守る長女に、次女は「ここは私の家だ。出ていけ」と叫びます。長女も「あなたは、私の恋人を盗んだ泥棒でしょう」と言い返し、大喧嘩になります。しかし、やがて次女のトーンが絶望に変わります。「私には、この家しかないの。夫も娘も私を嫌っている。父のために、私ひとりが家に残って、結局、他には何も残っていない」と涙ぐみます。「私がどんな罪をおかしたの?」と問う次女に対して、長女は「それは罪ではないわ。でも、愛は無償のものでなければならなかったわ」と語りました。そして、長女がアメリカに帰国するために、家族と抱擁し、お別れの言葉を告げたところで、物語はおわります。
アメリカから帰国した長女が目撃したのは、働かずに財産を食いつぶしただけの次女夫婦、働いてはいるものの不倫している三女、馬鹿みたいな男にひっかかる次女の娘、酒によって暴力をふるう元恋人、怠け者の使用人たちでした。長女の表情は常に冷ややかで、絶望をたたえていました。これは、私の解釈ですが、落ちぶれていくフィリピン社会を批判的に描こうとしたのかなと思いました。
「Ina, kapatid, anak」の監督、出演者情報
本作の監督をつとめたLino Brockaさんは、フィリピン映画の歴史において初期の巨匠と呼ばれる人です。この時代に、フィリピン社会に対して客観的な視点を持つことができたのか不思議ですね。普通に、フィリピンに生れて、フィリピンで育った生粋のフィリピン人のようです。主役の長女を演じたLolita Rodriguezさんは、アメリカ人の父とフィリピン人の母のあいだにうまれ、フィリピンで育ったようです。女優として頭角をあらわしたのちは「フィリピンドラマの女王」と呼ばれていたそうです。本作でも冷たい視線を投げかける演技でしたが、その抑制的な演技で有名なのだそうです。
「Ina, kapatid, anak」の作品情報
オリジナルタイトル:Ina, kapatid, anak
公開年 1979年
監督 Lino Brocka(インシアン)(White Slavery)
主なキャスト Lolita Rodriguez
Charito Solis
Laurice Guillen
視聴可能メディア Youtube(英語字幕のみ)
「Ina, kapatid, anak」のトレイラー
トレイラーが見当たらなかったので、本編へのリンクを貼ります。

