産みの親か、育ての親か?「Ang tatay kong nanay」

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このテーマは、どの時代、どんな国でも共通のテーマですね。子供は、血の繋がった産みの親か、血は繋がっていないものの育ててくれた親のどちらを選ぶかという古典的な問いを、フィリピン映画初期の巨匠、リノ・ブロッカ監督が扱っています。また、本作では自分自身もゲイだった監督ならではのスパイスなのか、育ての親にはゲイの中年男(女?)が配役されており、その罪悪感が、実の母親に子供を戻す方向に傾いてしまいます。複雑なストーリーもなく、字幕も現代的な見やすいものが付けられているのですが、時々字幕が付いてないシーンがあり、何が語られているのかわかりません。どうして、フィリピン人は、ちゃんとした仕事をしないのでしょうか? 巨匠の作品に対してリスペクトを欠いているのが残念です。タイトルの「Ang tatay kong nanay」は「私の父と母」という意味です。

(Photo cited from IMDb)

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「Ang tatay kong nanay」のストーリー

ゲイのダンスパーティのシーンから始まります。そして、フィリピン映画ではお約束の大乱闘になります。フィリピン映画では、トランスセクシュアルのパーティは、乱闘に至ることがほとんどです。しかし、この時代は整形手術がなかったので、なかなか暑苦しい映像になりますね。

主人公の中年のゲイ男性(叔父さん)の元に甥っ子が、赤ん坊を連れてきます。甥っ子は、「子供ができたが、子供の母はいなくなった。結婚はしていない。自分はアメリカの海軍に入ってお金を稼いで送るから、子供の面倒を見て欲しい」と頼みます。最初は、夜遊びができないからと渋っていた叔父さんですが、結局は引き受けることとなり、叔父さんと子供、出入りするゲイ友達の生活が始まりました。

叔父さんは、自分の美容院を経営しており、時にはメイクも施すようです。赤ん坊をおぶって仕事をする日々が始まりました。あっという間に月日は流れ、子供は5歳くらいの少年になりました。

親子の日常が描かれるのですが、子供の参観日に行って、自分は父親だと言うと、教師に「じゃあ、母親はどこ?」と言わるシーンが気になりました。フィリピンでは片親や、祖父母が育てているケースが多いと思っていましたが、70年代とは言え、両親が揃っていなければおかしいという考え方が、フィリピンにもあったんですね。

叔父さんは、子供と住むようになって、つとめて男として振舞っていましたが、子供たちの中では、ゲイじゃないかと言う噂は流れており、少年は素朴に「お父さんはゲイなの?」と聞きます。

また、ゲイの美人コンテストに参加しているところを、少年に見られてしまい、叔父さんは涙ながらに少年に何かを語りました。残念ながら肝心なシーンに字幕がなかったので内容はわかりません。

ある日、実の父である甥っ子が帰ってきました。甥っ子は、少年に対して、自分のことを叔父さんと紹介しました。少年は、自宅に飾ってあった写真から、彼の存在を知っており、2人はすっかり打ち解けました。しかし、甥っ子は単にマニラに寄港しただけだったので、また航海に戻っていきました。おそらく、金を送るという約束は守られていなかったのでしょう。甥っ子は、叔父さんにお金を渡そうとしますが、叔父さんは受け取りたがりません。そりゃあ、そうでしょう。今では、実の子の様に育てているのに、お金を受け取ってしまうと、代わりに育てているだけになってしまいます。しかし、叔父さんは甥っ子に、性的な魅力を感じているようで、結局はお金を受け取ります。

(ネタバレ)しかし、甥っ子は子供の母にも会っていました。彼女は、その後、お金持ちの後妻に入ったのですが、その夫が亡くなったので、莫大な遺産を相続したのです。彼女は、今ならば10人でも養えると言って、子供と夫を迎えることを提案しましたが、甥っ子は断りました。

しかし、女は子供を引き取ることを思いついたのちは、叔父さんにアプローチします。まずは、客として美容院に客として通って金持ちアピールをしたのち、叔父さんの家に行って子供を引き取ることを提案します。フィリピンの金持ちらしい、「いくら欲しい」と偉そうな物言いだったため、叔父さんの怒りを買いますが、周囲の女性たちが「結局は、彼女も母親だってことさ」と言いますし、ゲイの自分が父親かつ母親というのも、子供のためにならないだろうと考え、結局、母親のもとに連れて行くことにしました。そのお別れの日まで、子供が戻ってこないように、精いっぱい冷たい態度で子供に接します。そして、とうとう実の母に引き取られた子供ですが、徐々に子供との関係がぎくしゃくしていきます。この母親も、他の人の元で育った子供に対して、自分のルールを押し付け過ぎました。母親には簡単になれるものではありませんね。

そして、ある日、ゲイの美人コンテストの日、叔父さんは参加者のスピーチで、自分がいかに弱い人間だったかと語ります。そして、家に戻ると子供が玄関前で待っていました。叔父さんは、実の母の元に戻そうとするも「何度、母親の元に戻されても、ここに戻って来る」という子供を涙ながらに抱きしめます。そしてエンディングです。

巨匠、リノ・ブロッカ監督にしては、良く取り上げられるテーマを、良くある感じて撮ったなという印象です。フィリピンの子育てと言えば、甘やかすイメージですが、フィリピン人に聞いても、それは近年に西洋から入って来たもので、少し前までは、子供への無関心が問題だったと言われます。「金がなかったので置き去りにした。金ができたので迎えに来た」というのは、当時のフィリピン人庶民にとっては、そんなにおかしな感覚ではなかったのかもしれません。

「Ang tatay kong nanay」の監督と出演者情報

本作の監督をつとめたLino Brockaさんは、フィリピン映画の歴史において初期の巨匠と呼ばれる人です。ゲイをオープンにしていたと言われていますが、私は、彼のゲイを主題にした作品を見たのは初めてです。俳優陣で特筆すべきは、少年を演じたNiño Muhlachさんです。私が見た作品の中では、中年のおバカな市長を演じていました。時の流れるのは早いですね!

「Ang tatay kong nanay」の作品情報

オリジナルタイトル:Ang tatay kong nanay

公開年 1978年

監督 Lino Brocka(インシアン)(White Slavery)(Ina, kapatid, anak

主なキャスト Dolphy

Niño Muhlach

Phillip Salvador

視聴可能メディア ロシアの怪しいサイト(英語字幕のみ)

「Ang tatay kong nanay」のトレイラー

トレイラーがなかったので全編動画のリンクを貼ります。しかし、このYoutubeでは英語字幕がありません。

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