
フィリピンでは、8月21日が、ニノイ・アキノの日なので、その日の前に特集記事を書くためにニノイ・アキノ関係の映画を見ていこうと思います。秋は東京国際映画祭や、大阪アジアン映画祭、東京フィルメックスなど、国際映画館に向けて映画を見て仕込んでいかなければならないので、ホント大変ですね。地味なブログなのに、意外とやることが多いです。
本作は、2009年8月21日のニノイ・アキノの日を祝うために、フィリピンの映画制作会社ABS-CBNが制作したものです。映画の中で、ニノイの妻であるコラソン・アキノのインタビューも大きな割合を占めています。
ニノイ・アキノについては、「Ako si Ninoy」を見たときに、彼の人生について簡単に記載したので、よかったらご覧ください。
「The Last Journey of Ninoy」のストーリー
本作は、ニノイ・アキノの最後の10日間の映像に、過去のインタビュー、家族の証言などを組み合わせたドキュメンタリー映画です。ですので、ストーリーというものはないので、映画のなかて初めて知ったことを箇条書きにして記載しようと思います。
・本作はYoutubeにて見ることができますが、英語字幕は自動生成でしかつけることができません。90%は英語ですが、10%くらいタガログ語を喋るので、そこは何を言っているのかわかりません。ただ、英語表現をタガログ語で言い直したのだと思います。
・ニノイは17歳でマニラ・タイムズに入職します。元来社交的な性格で、全国各地を駆け回ります。また、共産党員に対して降伏を促したこともありました。
・やがて政治家になり、楽しみながら政治活動をしてい。基本的に朗らかで、どこかコミックな人に好かれる容姿をしている。
・その頃から、すでに国民のために死にたいと言っていた。
・当時、フィリピンでは共産主義者が、ムスリムの反乱運動を支援していた。マルコスは、自分が退陣したら、フィリピンが共産主義になってしまうと吹聴。それでアメリカからの支援を受けていた。
・ニノイ自身は、アメリカ型の大統領制が独裁者を生んでしまうと考えており、イギリス型の議会民主主義性を目指していた。
・ニノイは、アメリカから帰国するために、シンガポール、香港、台湾の順番にまわり、多くの政治家たちと会談しながらフィリピンを目指した。
・ニノイは、各国をめぐりながら、ほぼ自分が暗殺されるという情報を得ていたようであった。
・ニノイの演説の中で、「4800万人のフィリピン人」という言葉がある。40年で人口が2倍以上になったのですね!
・マルコスに政敵とみなされ、刑務所に収監された期間は7年7か月におよぶ。
・当初は本を読むことも許されず、4m四方の個室の中で、ただ歩くことしかできなかった。
・のちに、本を読むことが許された。一番、繰り返し読んだのは、仕事に関する本だとのこと。
・この刑務所の期間に、自分がなぜ、こんな苦しみを受けなければならないのかと考え続けて、キリストもそうであったと、キリストとの一体化経験があったようである。
・刑務所の期間の晩年に、40日のハンガーストライキを敢行。ついに、病院に搬送された。
・その時に、神の声を聴いた。「死を望むことは逃げることである」と。
・心臓のバイパス手術をしなければならない事態であることが判明し、その日のうちにマルコスが用意した専用機でアメリカに、治療目的という名目で出された。
・手術が終わり、リハビリの最中に、「手術が終わったのでマニラに戻ります」とマルコスにメッセージを送ったところ、無期限の追放刑に変更された。
・意外とジョークがうまい。7年7か月の禁固から病院に搬送されて、心臓の問題が発見される。その時の様子を「私は、病院に搬送されて、その日は心臓がドキドキして眠れませんでした。なぜなら、私は7年7か月のあいだ、女の人を見たことがなかったので、多くの美しい女性に囲まれてドキドキしました」と語る。また、マルコス大統領に家族の同伴をお願いしたときのことについて、「私は5人の子供のうち3人をアメリカに連れて行くことを願い、許されました。私は嘘を言っていません。5人のうち2人は既にアメリカにいましたから」など。
・アメリカで家族の映像があった。映っていた娘の1人が、のちに有名な女優となるKris Aquinoである。彼女はホラー映画で活躍している。
「The Last Journey of Ninoy」の作品情報
オリジナルタイトル:The Last Journey of Ninoy
公開年 2009年
監督 Jun Reyes
視聴可能メディア Youtube(自動生成英語字幕)