本作は、数少ないNetflixで日本語字幕付きで見られるフィリピン映画で、現在のところ最も新しく収録された作品です。ですので、否が応でも期待が高まるのですが、結論から言えば、アイデアは面白いのですが、肝心な設定に甘いところがあり、物語上で問われた「恋人か家族か?」という究極の選択が成立していません。また、聖職者の父の過去を息子がたどるというアイデアを実現するためには、フィリピンで主流のカソリックでは成立しませんので、妻帯が許されているプロテスタント教会を舞台としているのですが、明らかにカソリック的な世界観でおかしいことになっています。プロテスタントをほとんど知らないフィリピンで上映するならば、フィリピン人にはわかりやすく、問題ないと思いますが、世界に向けて外国語の字幕を付けるほとの作品ではありませんでした。そもそも、新人監督さんの長編映画デビュー作品です。Netflixでは、どういう基準で日本語字幕を付ける作品が選ばれているのか、理解に苦しむ作品でした。とは言え、主人公が作中で過ごすスペインのコルドバの景色はすばらしく、風景をみるだけで楽しめる作品でもあります。

(Photo cited from Filmarks)
「父が綴った手紙には」のストーリー
父の葬式で息子がスピーチするシーンから始まります。父親は人々に愛された牧師だったようで、息子の自慢の父親でした。しかし、変な女が葬式に乱入し、父親がかつてゲイであったことを暴露して、会場は騒然とします。その女は、息子に対して「お前が産まれて、お前の父はジワジワ殺されたようなものだ」と言われ、息子はショックを受けます。
息子も牧師の道を志しており、近々、ポルトガルに研修に行くことになっていました。母は、この件で、息子のポルトガル行きが取り消されるのではないかと心配します。
父と息子が属している教会は、プロテスタントですが、そんなところあるのか?と思うほど、カソリック的です。同性愛の女性の罪を許すようにと、牧師がお祈りしたり、手をあげて讃美歌を歌ったりします。また、不要となった父の服を、教会に寄付しようとするも、代表牧師は受け取りません。父の祝福もされておらず、息子は代表牧師と父に不信感を感じずにはいられません。
やむなく、父に祝福を与えてもらうために、葬式のときに爆弾発言した女性を訪れ、教会で発言を取り消して欲しいと頼みます。そこで、若き日の父の恋の物語を聞くことになります。父はゲイであり、会ったこともない文通相手のスペイン人を猛烈に愛していました。女は、父の友達でした。女は、遠い地にいる想い人よりも、近くでゲイの恋人を見つけられるように男を紹介してあげたりするのですが、父の想いは純粋でした。女は「天国にいくのはお父さんみたいな人よ。教会にいる奴らじゃない」と毒づきます。
その後、女に教えてもらったのか、父が隠していた手紙の束を発見します。それは、スペインの文通相手から送られたものでした。息子は、手紙の中で、どれだけ純粋な愛を交わしていたかを知りました。
ポルトガルに旅立つ前に、息子は女から、父親が出せなかった手紙をあずかります。それは、父の想いを伝える手紙でしたが、それを送ってしまうと関係が壊れてしまうのではないかと恐れて、ずっと出すことができなかった手紙でした。とは言え、すでに交わされていた手紙で、濃密な愛の言葉を伝えあっているのに、今さら告白を恐れたというは、ちょっと無理がある設定だと思いました。
息子は、ポルトガルに到着し、フィリピン人の同僚と同室となりました。どんな研修なのかわかりませんが、息子は同僚に研修の場所をスペインに変えたといったことを語り、2人は父の恋人が住んでいたスペインのコルドバに移動しました。コルドバはいいですね。私は、スペインではマドリッドとバルセロナには行ったことがありますが、コルドバは遠すぎていくことができませんでした。いつか行ってみたい街です。近くのアルハンブラ宮殿に行きたいですね。
息子は、同僚のすきを見つけては、父の恋人を訪れますが、彼は息子を拒絶するばかりです。また、時々、同僚と街の人を訪れ、布教活動をするのですが、英語が通じないので、まったく受け入れられません。3年間の布教活動をするようなことを言っていましたが、どんな研修でしょうか? ポルトガルでも英語は通じませんが、どうするつもりだったのでしょうか? そもそも、プロテスタントで、こんな布教活動をする宗派があるのでしょうか?
(ネタバレ)しかし、徐々に父の恋人は、息子に心を開き始め、孤独な初老の男の側面と、冗談好きな愉快な男の側面を見せてくれます。息子は、男に父の手紙を渡そうとするのですが、彼は拒絶します。彼は、父親が将来の孤独をおそれて、自分を選ばず、家族を選択したと理解しており、愛すべき息子を知った今となっては、かつての恋人の選択を受け入れる覚悟です。非常に曖昧で、矛盾に満ちているのですが、父はそのころお見合いを受けたと語られる一方で、女が妊娠した(のちの息子)ので結婚を決意したとも語られます。息子は、自分のせいで、父親が恋人と別れなければならなくなったことを、男に詫びるシーンもあります。しかし、これだけ純愛を貫いていたゲイの父親が、女を妊娠させるとは考えづらく、母親との出会いのシーンはお見合いです。息子のせいで、恋人と別れたというのは、時系列的にどう考えても矛盾しています。また、この矛盾のために、本作のテーマである「恋人か、これから生まれてくる子供か?」という究極の選択が成立していません。フィリピン映画あるあるですが、脚本にいい加減なところが多く、矛盾をあまり気にしないですね。
一方で、同僚にも大変なことが起こっていました。彼の16歳の妹が、自分たちのボスである代表牧師にレイプされ、妊娠してしまったというのです。2人は、自分たちが守ってきた信仰が音を立てて壊れるのを感じます。結局、同僚は、すでにうやむやになっている研修を放棄して、帰国することにしました。また、父の葬儀で大暴れした女性が、代表牧師が悪魔祓いしているところに乱入し、レイプ事件のことを暴露して、彼を追い込むこととなりました。しかし、プロテスタントの教会が悪魔祓いをしますかね? フィリピンのプロテスタント教会ならば、なくはないのでしょうか? どうみても、カソリックとプロテスタントを混同しているようにしか見えません。
最後のシーンでは、息子はようやく父の恋人に手紙を渡すことができました。父の恋人は、手紙を読みます。そこには、熱烈な愛の言葉がつづられていました。正直、これまでの手紙と変わらない内容なので、今さらでした。実際、手紙を読むシーンはすぐにフェードアウトする始末です。なぜ、それまでの手紙をもっと抑えた調子にしなかったのでしょうか?
ことを成し遂げて満足げな息子のもとに、教会からメッセージが届きます。研修を放棄した2人には、教会から処分が下されると書いていました。彼は落ち込むこともなく、近くにあったレストランのウエイター募集のチラシに目を落とします。そしてエンディングです。
とにかく、本作のテーマである、子供が産まれるため、恋人をあきらめなければならないという葛藤の前提が矛盾しており、テーマ自体が成立しないと言う大きな問題点がありました。また、プロテスタント教会を舞台にしているわりには、ゲイは天国に行けないと牧師が言ったり、悪魔祓いをするなど、明らかにカソリック的な世界観で、大いに矛盾に満ちています。新人監督の初監督作品に、厳しいことを言っても仕方がないと思いますが、なぜこの作品が日本語字幕を付ける作品として選ばれてしまったのかな?というのが、一番の疑問でした。誰が決めているのでしょうかね?
「父が綴った手紙には」の監督、出演者情報
本作の監督をつとめたShaira Advinculaさんは、何度も言っているように新人監督さんで、本作が初監督作品です。アイデアを実現するための構成力が足りないのはやむを得ないですね。しかし、出演者は結構豪華メンバーです。特に目を引くのは、父親の若いころを演じたJC Santosさん。彼はフィリピンの代表的なイケメン俳優です。また、JC Santosさんがどんなに年をとっても、こうはならないだろうというその後の父親を演じたBodjie Pascuaさんも、フィリピン映画界を代表する俳優のひとりです。総じて、有名どころが参加しており、なぜ新人監督の作品に、これだけのキャストを揃えることができるのか、フィリピン映画産業の構造が不思議ですね。
「父が綴った手紙には」の作品情報
オリジナルタイトル:Sana Sinabi Mo
公開年 2025年
監督 Shaira Advincula
主なキャスト Nonie Buencamino(Smaller and Smaller Circles)(Un/Happy for You)
RK Bagatsing(Love Child)(K’na the Dreamweaver)
JC Santos(Missed Connections:あなたを探して)(アルター・ミー: 心に耳を傾けて)(パラサイティック/モーテル・アカシア)(Here and There)(The Amazing Journey of the Letters)(Kintsugi)
視聴可能メディア Netflix(日本語字幕)

